捩れ・・捻じれ・・ねじれ
2008.04.02
私たちの生活に直結した税率が「衆参のねじれ現象」でどうにもならなくなっています。
この原因を作ったのは紛れも無く国民ですから、あえてその痛みを甘受しなければならないと思います。
そうはいうものの政治は国民の為にあるもので、党利党略の為にあるものではない訳でして、国士の登場をひそかに期待するところです。
「せいじや」ではなく「せいじか」が責任を持って国策を議論し真に国民が望む政治を行ってもらいたいと思います。
さて、これは私の全くの私見ですが、「捩れ」は、ねじり方によって元に「戻る」ことを意味し、また「捻じれ」は、念ずれば元にもどることを意味し、いずれにしましても人間の手によってどうにでもなる事だと思います。
政治は誰の為にあるのか、政治手法のみに囚われず打開して頂くことを願っています。
「散る桜、残る桜も、散る桜」とか、煩悩具足の凡人のたわごととをお聞き届け下さい。
鈴鹿市議会議員 原田勝二